2月6日に福岡県八女市の「おりなす八女」にて行われた、ノルウェーのドラム奏者Thomas Strønen率いるグループTime Is A Blind Guideのライブに行ってきました。

Thomas Strønenは以前から好きな音楽家で、ECMからリリースしているノルウェーのジャズ・ミュージシャンの中では例えばJan GarbarekやBobo Stenson、Arve Henriksenなどに比べると知名度的には劣るかもしれませんが、深く多様な音響的哲学(そこにはECMのキャッチコピーになっている「静寂の次に美しい音」という世界観も含まれるでしょう)を感じさせる音楽を長年続けている人という印象で、このレーベルの美学(の一端)を理解するのに重要な音楽家ではないかと感じる存在でした。

Bobo Stensonも参加した2005年作。
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Thomas Strønenという名前だけ聴いてピンとこない人にも、Fenneszが参加したこともあるFoodのドラマーといえばわかっていただけるかもしれません。
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Time Is A Blind Guideはそんな彼が近年継続的に稼働させているグループの一つで、おそらくは2015年に発表したThomas Strønen名義の作品『Time Is A Blind Guide』を発端に、ここでのメンバーや演奏を基礎としてグループとして展開させていっているものと思われます。

Time Is A Blind Guideはこれまでに(前述のそれをアルバム名とした時点の作品を加えていいなら)2つアルバムをリリースしています。これらの作品はドラム、ピアノ、そして弦楽トリオ(ヴァイオリン、チェロ、コントラバス)という編成は共通していますが、『Time Is A Blind Guide』でピアノを弾いていたKit Downesは『Lucus』ではAyumi Tanakaへ交代、そして『Lucus』のリリース後のタイミングでチェロ奏者のLucy Railtonが抜けているようで、今回の来日ではLeo Svensson Sanderが新たにチェリストとして加わった編成となっています。
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https://music.apple.com/jp/album/time-is-a-blind-guide/1442886305
https://music.apple.com/jp/album/lucus/1442249441

2018年リリース『Lucus』が彼のキャリアの中でも特に好きな一作であったこと、そこから更に2019年リリースのMats Eilertsen(Thomas Strønenとは幾度も共演している盟友といっていいでしょう)による『And Then Comes The Night』、そして2021年のThomas Strønen, Ayumi Tanaka, Marthe Lea『Bayou』とこれまた素晴らしい参加作品が続いていることもあって、個人的に彼に対しては「もしかしたら今が全盛期なのでは…」という印象を持っていました。なのでライブもずっと観てみたいと思っていて、昨年でしたか、来日があるらしいという知らせを耳にした時にも気にはなっていたのですが、まさか福岡で観られるとは思わず、本当に絶好の機会でした。

ライブは前述の通りドラム、ピアノ、弦楽トリオという編成で、当日の会場ではこれら5人の奏者がだいたい円形に向き合うようなセッティングで演奏が行われ、客席もドラム側とバイオリン側になだらかに円形で設置されていました。

前置きが長い割に肝心の演奏についてはいきなり結論を言ってしまうのですが、本当に素晴らしかった……。基本的には『Lucus』の延長線上にある表現を想像して行ったのですが、実際目の前で展開される音楽はそれをどんどん拡張、更新していくもので、想像の上を行く瞬間も、または想像の外を駆けるような瞬間もふんだんに擁すおよそ2時間。

アンコール合わせて演奏されたのは全部で6曲ほどだったと思います。演奏のスタイルとしてはおそらく1曲の中で「印」となる作曲パートがいくつかあって、それらの間に即興が挟まれるようなかたちだったと思うのですが、激しい即興パートの中で思いもしないタイミングで旋律やリズムのキメ、同期が挿入され、それをきっかけに演奏の様相が大きく変わるといったことが多いため、1曲の印象を何か一つの言葉なり音楽的性格にまとめるのが非常に難しい ※1

※1:そういう意味ではプログレ好きな方に訴えかけるようなものもあったのではないでしょうか。また、その予想し難い展開が(まるで演奏者のテクニカルな欲求ではなく演奏外の事象によって引き起こされるかのように)もたらされる瞬間の「飛躍」の感触に、映像の要請によって異なる音楽要素の切断や接続が生まれる映画の中での音楽の在り方を想起することもありました。

作曲パートと即興の境界も掴み難いですし、即興と思える場面でも全員が明らかにフリーで演奏している箇所もあれば、その中に一定のリズムなりパルスを発することに徹している人がいるケースもあったりと様々で、その最中に旋律やリズムのキメを入れるタイミングがどう決められているのかもよくわからない。フリーな時間もかなりあるように聴こえたのでまさか小節数を決めているわけでもないと思いますし、演奏中にアイコンタクトとってる瞬間は多々ありましたがそれだけでああいう風にできるものなのか……。こういった抽象的といいますか、掴み難い展開の作り方は、同じくECMから多数作品を発表しているTim Berne’s Snakeoilに近しい印象を持ちました。即興の場面のテンションにしても(もちろん管楽器擁するSnakeoilと弦楽器の多いTime Is A Blind Guideではサウンドは全然違いますが)両グループはどこか通じるところがあるように思います。

前述したようにグループの演奏はひと繋がりの1曲の中で明らかに様相の異なる場面が出現するものだったのですが、その中で特に驚いたのが、弦楽トリオがリズム楽器として働く時間の多さでした。ピッツィカートやハーモニクス、そしてもっと原始的にボディや弦を叩くといった動作で「点」的な音をバチバチと呼応するように発し、ピアノもそれに同調するようにマイク近くのポイントを叩くことも多く、結果として5人全員がリズム楽器となる演奏が何度も繰り広げられ、ちょっと想像していないレベルで踊れる音楽だった……。

弦楽器3つ(+結構な割合でピアノ)がパルスを共有しながらそれを3や4、5、他にもいろいろな数でカウントし、自由に切り替えながら、そこに奏法の変化も自在に絡ませてくるため、非常に贅沢なポリリズム状態が味わえ、チェロのリズムに焦点を合わせた次の瞬間にはコントラバスのリズムの切り替えが耳に入り、更にバイオリンへ、ピアノへ、と耳と目を行き来させながらその最中を探索するのが本当に楽しい。この辺りは自分が観たことのあるライブですとColin Vallon Trioにかなり近い印象を持ちました。

ただ何度も繰り広げられるそういった演奏の中にも、様々なレベルで不可解さは潜んでいて、例えば弦楽器の発するパーカッシブなサウンドには共通するパルスが読み取れ、そこに身体を預けることで踊れる音楽として聴けるその傍らで、ドラムの演奏だけがそのパルスにどう乗っているのか(または乗っていないのか)が上手く掴めず、かといってドラムだけがフリーにいわば一種の「ソロ」として演奏しているようにも聴こえない時間がありました。私がリズムのグリッドを掴み損ねているだけの可能性もありますが、こういった場面で表れるStrønenの演奏の持つ抽象性、そしてそれと同時に耳に入って来る芯のしっかりした凛とした音色はこの日体感した様々な場面でも一際印象に残っています。

なんとなく目を瞑りながら聴き入る時間が多く生まれるのかなと思い会場入りしたはずが、実際は身体を揺らしながら聴いている時間がとても多かった記憶です。この雰囲気は(たしか本編の最後の曲を演奏する時だったと思うのですが)Strønenが客席に「静かなのとアップリフトなのどっちがいい?」と尋ね、それに対し客席の多くがアップリフトを望むという場面があったことにも表れているように思いますし、当日会場にいた多くの方に共有されるものだったのではないかと想像します。私もその流れに自然に入っていけましたし、この問いかけが起こる以前の演奏にも、そういった雰囲気に呼応していた面は少なからずあったのではないかと。

もちろん演奏の中には私が想像していたような目を瞑って聴き入ってしまう場面の他、現代音楽の要素を前面に出した弦の特殊奏法の協奏、例えば弦楽トリオ/ピアノとドラムのデュオといった具合にグループ内で疑似的に編成を分けての演奏が行われる時間など、書き出せないほど様々な要素の現出があり、曲間でのStrønenの問いかけ※2「あなたたちはこういう音楽をなんと呼びますか? インプロビゼーション? ロック? コンテンポラリー・ミュージック?」が本当に音にも表れているなと唸らされる内容でした(その問いかけの後に述べられた「私たちはそれらをはじめフォーク、トラッドなど、様々な音楽を混ぜています」という言葉にも、深く頷いてしまいました)。

※2:1曲終るごとにStrønenは客席への挨拶や問いかけ、または次にやる曲の簡単な紹介を行っていました。聞き間違いでなければ3曲目はPaul Bleyへ捧げる曲と紹介されていました。

そしてそういった様々な要素を含んだ演奏の中で一貫していて、このグループのサウンドを全く節操のなさを感じさせない、このグループならではのものにしていると感じられた部分が、音の見通しのよさですね。弦楽器3つという編成の時点でその傾向のかなりの部分は決まっているのかもしれませんが、それにしても演奏がヒートアップする場面においても誰か一人の音が他者の音を塗りつぶす場面が全然ない印象で、どの場面にあっても意識を少し向けるだけで各演奏者の挙動をしっかりと掴むことができ、それ故に私は先に述べたようなリズムの様相やグループ内の役割、そしてそこから生まれる不可解さの探索へと、自然に辿り着くことができたのだと思います。この編成であればドラムやピアノは他の音を塗りつぶすようなこともできるかと思うのですが、そういう方向へ演奏が傾いた印象が全くなく、そのためか全員が活発に音を出している中でのピアノの弱音もとても綺麗に耳に届きました。

最初に述べたように、このグループがここで聴かせてくれた演奏の多様さとダイナミズムは私にとっては想像以上であり想定外でした。そしてそれは、このグループにECMから発表された2作には捉えられていないポテンシャルが存分にあること、つまりはそれらの作品はECMが彼らの持つ音楽から切り出した一面であることを表し、ECMが非常に強固な「編集」によってそのカタログを形作ってきたことを改めて実感させもします。と同時に私がこの日の演奏から受け取った印象(例えば踊れる音楽という一面)もまた、私の視点によって編集されたものでしょう。またこの日の演奏自体、会場が、そこに集まった観衆が、彼らのポテンシャルから編集したものだったということもできるかもしれません。

そしてそのような、交感とも近しい編集的な作用は、これ以降に行われた大阪、東京での公演でも間違いなく表れたことでしょう。故にここに記した私の演奏に対する視座は、そちらを体感された方々にとっては全く役に立たないものかもしれません。しかしどんなかたちの作用が表れようとも、そこには素晴らしい音楽が鳴っていると確信させてくれるほどのポテンシャルを、このグループには感じます。ジャズ、インプロヴィゼーション、プログレや実験的なロック、ダンスミュージック、トラッド/フォーク、更にはアフリカ音楽まで、好きなものは異なっていても様々な音楽好きに訴え得るサウンドを、その場との交感の中で生み出していくこと、そしてその最中にいることができたことの充実感が、今も私を満たしています。 Time Is A Blind Guideの今回の来日は2017年以来、7年ぶりとのことでしたが、いつになってもいいのでまた来日してほしいと心から願います。そして今回観ることが出来なかった方々にも、その時を心待ちにしていただきたいと、勝手ながら思います。きっとその価値があるはずです。

最後に、今回の福岡・八女公演をオーガナイズされた「旧八女郡役所音楽の会」の方々へ、お礼の言葉を記したいと思います。このようなアクトを九州に呼んでくださること、本当に感謝してもしきれません( Pino Palladino & Blake Millsの福岡公演も本当に貴重な機会でした)。ありがとうございます。今後もイベントの開催など、活動の予定があるそうですので、九州の音楽好きの方々など、是非とも動向をチェックしてください!

 

よろすず
長崎県在住。アンビエントやドローン、電子音楽などを中心に執筆を行う傍ら、Shuta Hiraki名義で作品制作やライブを行っている。 https://twitter.com/yorosz
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