2023年5月13日、ポール・デマリニスをゲストに迎えたパフォーマンス&トークイベント「stain 」が九州大学大橋キャンパスで開催された。デマリニスは1970年代の勃興期からデジタル・コンピュータ音楽を牽引してきた第一人者であり、かつメディアアートの分野ではサウンドインスタレーションの先駆者としても知られる。いずれの活動もテクノロジーをめぐる通念を省みる姿勢において一貫するが、とくに1990年代以降のインスタレーション作品はエルキ・フータモが提唱する「メディア考古学」(過去を再検討することで、テクノロジー進歩史観に対抗する方法論)のロールモデルとして取り上げられることも多い。本イベントのパフォーマンスやトークの内容からも、50年近くの活動を経てなお衰えを知らない創作意欲の根底にある批判的思考の一端をうかがい知ることができた。

パフォーマンスの概要

当日はデマリニスのパフォーマンスの前に、ゲストの松浦知也とCOMPUMAを含む5名のアーティストによるパフォーマンスがおこなわれた。以下、概要を紹介したい。

佐伯拓海は水中で培養した発光細菌に音波の刺激を与え、音のパターンを微生物で可視化するというパフォーマンスをおこなった。

Paul DeMarinis: stain@九州大学大橋キャンパス

佐伯拓海のパフォーマンスセット
(画面の下端に見えるのが発光細菌を培養中の水槽)
撮影:「stain」スタッフ

細菌が放つ光はきわめて微弱であるため、ゆっくり時間をかけて暗闇に目を慣らさないとほとんど気づくことさえできない。暗室のなかで音楽に耳を澄ませながら5分ほど待っていると、薄青の蛍光色をした紋様が闇の中で踊っているのがかすかに見えてきた(発光の様子は残念ながら撮影できなかった)。サウンドビジュアライゼーションには多数の先例があるが、微生物によるそれはまったく型破りなものだった。音と光のあいだには何らかの因果性があるようでいて、固定されたルールのようなものは見られなかったからだ。佐伯のパフォーマンスは人間のテクノロジーよりもはるかに以前から生物界の中に存在していたある種のサウンドビジュアライゼーションの可能性を再発見させるものだった。

鷲尾拓海のパフォーマンスでは、石とマイクロフォンを一体化させた自作楽器でさまざまな奏法が提示された。

Paul DeMarinis: stain@九州大学大橋キャンパス

鷲尾拓海のパフォーマンス(右手で石を叩きながら、左手でミキサーのパラメータを調整している様子)
撮影:「stain」スタッフ

石はやや歪な楕円体で、床から垂直に立ててあった。鷲尾はそれを抱えるように床に座り、片手あるいは両手の掌で叩く、指で(あるいは指輪で)弾く、擦るなどの方法で石を刺激し、その震動を増幅してスピーカーから鳴らした。ミキサーのイコライザーで音域を調節すると、その音は驚くほどの重低音になって会場に響くこともあった。さらに、それらの音が石に共振を起こすと、石とスピーカーのあいだでフィードバックループが生まれ、倍音の豊かな持続音も鳴る。たとえ表面上は動いていないように見えても、石は空気や地面の震動を受け取り、みずからも微細に震動している。鷲尾のパフォーマンスはそうした知られざる石のメディア性とその音響的なポテンシャルに気づかせてくれた。

宮下恵太はラウドスピーカーをオシレーター(発振器)として使い、その隠された一面を明らかにした。

宮下恵太のパフォーマンス(2組のVictorian Synthesizer、接触型スピーカーが乗ったエレキギターがミキサーに接続されている)
撮影:「stain」スタッフ

宮下が用いたのは、ジョン・バウアーズが発案した「Victorian Synthesizer」である。これは電池とスピーカーからなる最も単純なオシレーターであり、スピーカーの震動を回路にフィードバックすることで発振する。宮下はその回路を分岐させ、別のスピーカーから出力していたようだ。そのシンプルな回路は高い持続音や、一定のテンポで鳴る打音を生み出し、規則的なリズムを生み出した。傍らには、エレキギターも置かれており、その上には接触型のスピーカーが乗っていた。スピーカーの震動はギターの胴体を通じて弦に伝わり、アンプで増幅されることで持続音が生じる。宮下のパフォーマンスはスピーカーが決して音を伝えるためのニュートラルな伝達経路ではなく、むしろ音を生成する特有の物質性を持つことを実感させるものだった。

松浦知也は自作の電子音響楽器を使い、マイクロフォンとスピーカーの相互作用にフォーカスを当てたパフォーマンスをおこなった。

Paul DeMarinis: stain@九州大学大橋キャンパス

松浦知也のパフォーマンス(ハウリングを制御する2台の自作楽器の他、拡声器やホイッスルも使用された)
撮影:「stain」スタッフ

松浦が製作した「Exidiophone]」はマイクロフォンとスピーカーのあいだで音の入出力がループすることで生じるフィードバック音(ハウリング)を音響生成の基本構造として組み込んだ楽器である。パフォーマンス中、松浦は会場に置かれた数台のスピーカーのあいだを歩きながら、2台のExidiophoneを設置する場所を慎重に探しているように見えた。通常、ハウリングは情報伝達を妨害するノイズの一因として忌避される傾向にあるため、それが起きないようなセッティングが求められるが、松浦はむしろその美的な質やバリエーションを引き出すためにこそ楽器の位置取りに注意深くあるようだった。パフォーマンスではExidiophoneの他にも、松浦自身の声、拡声器、ホイッスルなどを使って、ハウリングの音色を変える様子も見られた。なお、松浦の楽器はハウリングを適度にコントロールするために、LEDと光センサの組み合わせで音量を抑制する仕組みが用いられる。そのため、パフォーマンス中にはハウリングの音量がトレモロのように増減を繰り返すのに合わせ、同じテンポでLEDの白光が明滅することになる。ミニマルながら美しい音のパターンもさることながら、それらの光の明滅はマイクロフォンとスピーカーのあいだで循環している目に見えないエネルギーの分布を知覚させてくれるようで興味深かった。

COMPUMAのパフォーマンスは、ビニルではなく紙のレコードを使用することでオルタナティヴなDJカルチャーの可能性を提示するものだった。

COMPUMAのパフォーマンス(ターンテーブルやCDJからなるDJ機材セットと、正方形の厚紙のレコードが用いられた)
撮影:「stain」スタッフ

このパフォーマンスでは城が考案した「予め吹き込むべき音響のないレコード」という技法で作られたメディアが使用された。この技法は波形のベクター画像をカッティングプロッターやレーザーカッターでさまざまな素材に出力し、パーソナル・ファブリケーション(個人的なものづくり)の観点からレコードを再発明することをめざしたものだ。今回使用されたのは音楽レーベルBlack Smoker Recordsとのコラボレーションで制作された紙のレコードで、COMPUMA 自身を含む複数のアーティストの創作によるループ作品が収録されていた。再生にはDJ用のターンテーブルとオーディオミキサーが用いられたが、厚紙で作られたレコードの音はビニルやCDのそれとはまったく違った。紙の繊維質のためか、摩擦音がつねに鳴りわたり、クリアな音からは程遠い。しかしながら、きめの粗いその音には他の素材では代えがたい音色の魅力があり、フィルタリングによって生まれる豊かな音の変化も面白い。COMPUMAのパフォーマンスは、紙のレコードが決してビニルの代替品ではなく、オルタナティヴな音楽文化のインフラになりうると思わせるような説得力を持っていた。

以上、4名のアーティストによるパフォーマンスを紹介してきた。それぞれ扱う素材は大きく異なるものの、メディア機器や楽器といったインフラの部分から音楽をとらえなおそうとする姿勢において一貫性が見られた。そうした姿勢にどのような意義があるのかは、続くふたつのパフォーマンスを紹介した後に考えてみたい。

マグネティック・レコード

城一裕のパフォーマンスは、デマリニスとの共作による「マグネティック・レコード」を用いたものだった。当日の出演順とは異なるが、本イベントの中心人物であるデマリニスの活動とも深くかかわるため、少し詳しく紹介したい。

城一裕のパフォーマンス(デマリニスと共作した紙製のマグネティック・レコードを聴衆に見せている)
撮影:「stain」スタッフ

マグネティック・レコードは文字どおり磁気メディアの一種に数えられるはずだが、磁気テープとは異なる発想で作られている。音声合成で作られたオーディオデータはまずバーコードのような縞模様状のパターンに変換され、次に円形に再配置され、最後にデジタルシルクスクリーン製版機で印刷紙や耐熱性フィルムに出力される。印刷には磁性インクが用いられており、電磁ピックアップでなぞると音が再生される。また、インクは微小ながら凹凸を形成しているため、レコード針で表面を擦っても不明瞭ながら音声のようなパターンが聞こえる。マグネティック・レコードは今日のデジタルシンセシス、ベクターグラフィックス、デジタルプリンターを通して録音技術を再発明することによって、印刷技術の音響的なポテンシャルを開示する試みである。そしてここには、新旧のテクノロジーを織り交ぜて虚構のレコード史を提示したデマリニスの《The Edison Effect(1989〜1996)シリーズと同様のメディア考古学的な方法論を見て取ることができる。

マグネティック・レコードに印刷されていたのはデジタル音声合成ソフトで作られた”Mary had a little lamb”の波形データだという。つまり、エジソンによって発明された蓄音機にはじめて吹き込まれたとされるフレーズである。しかし、紙のマグネティック・レコードからは粒子の粗いノイズしか聞こえてこない。耐熱性フィルムのマグネティック・レコードからはより明確な規則性を持った音が鳴るが、事前に知らなければ”Mary had a little lamb”と言っているようには聞こえない。だが、それによってかえってビニルとも磁気テープともデジタルオーディオとも異なる音のテクスチャーが前景化し、マグネティック・レコード特有の(磁性インクの?)物質感が聴き手の注意を引く。このようになじみのメディアを異化することで、その内容よりもむしろ隠されたメカニズムや素材性に意識を向かわせるアプローチは、デマリニス自身のパフォーマンスからもうかがい知ることができた。

デマリニスのパフォーマンス

デマリニスのパフォーマンスは、それぞれテーマの異なる三つのパートで構成され、最初のふたつはラップトップPCを用いて上演された。後の解説によると、第一のパートはデマリニス自身の聴覚をテーマにしたものだったようだ。

ポール・デマリニスのパフォーマンス(最初のふたつのパートでは、ラップトップPCが用いられた)
撮影:「stain」スタッフ

画像ではわからないが、左右のスピーカーからは別々の音が鳴らされていた。途中から同型の電子音のメロディがいくつか繰り返されるが、右のほうが高く、それは終盤になると耳を突くような高周波へと変わった。これはデマリニス自身の聴覚体験を模したものだという。彼は2021年2月に接種した新型コロナワクチンの副反応で右耳の聴力を部分的に損失し、中音域をほとんど感じることができなくなった。つまり、左右の耳で音の感覚が一致しなくなってしまったのである。最初のパフォーマンスはいわばコロナ禍において変質したデマリニス自身の耳のメディア性を知覚させる試みだったと言えよう。

第二のパートは主に合成音声を用いたパフォーマンスだった。合成音声のモデルには、デマリニス自身の音声が使われたという。冒頭から、デマリニスの声で”We were away a year ago”というテキストを繰り返し読み上げる声がラップトップPCで再生された。このフレーズは1970年代のベル研究所でデジタル音声合成のテストフレーズとして利用されたものである。しばらくすると、同じテキストを反復する別の声が重なってきた。デマリニスの声色を残してはいるが、音の解像度は下がり、音域も不自然に分離していた。音声はさらに変質し、言葉を判別できるかどうかぎりぎりのところまで崩れてしまう。今度は”She was a visitor”というフレーズのループが聞こえてきた。これは実験音楽のLPアルバム『Extended Voices』(1967)──電子機器で拡張された声を主題とする作品集──に収録されたロバート・アシュリーの「She Was a Visitor」から引用されたものだ。ループしているうちに、音声はやはり変質し、リズミカルなノイズへと変わってしまう。こうした音声の変化は音声合成モデルの学習データにホワイトノイズを混ぜることで得られたものだという。そのアルゴリズム自体は「音声」とそれ以外の音を差別しないため、必ずしも言語伝達の目的とは一致しない合成モデルも生成しうる。このパートでは音声合成の隠された性質にフォーカスを当てつつ、そのメカニズムから生み出される音の広がりが示された。

最後のパートではピエゾマイクロフォン(コンタクトマイクロフォン)が主に用いられた。

Paul DeMarinis: stain@九州大学大橋キャンパス

第三のパートでは、ピエゾマイクロフォンに接続されているピアノ線をスプレーの噴出ガスで揺らしたり、ガスバーナーの炎で炙ったりして音が鳴らされた 撮影:「stain」スタッフ

ピエゾマイクロフォンは圧力と電力を相互変換できるピエゾ素子の特性を利用した端子であり、接触型のマイクロフォンや簡易的なスピーカーとして利用されている。デマリニスはそれを改造し、外周部に複数のピアノ線をはんだ付けしたものを用いた。ピエゾマイクロフォンをある種の楽器として使うことは実験音楽の定番ではあるが、デマリニスのやり方はあまり類を見ないものだった。通常は指で弾いたりして打楽器のように演奏することが多いが、彼はスプレーやバーナーを使って音を鳴らしていたからである。それらの風や炎がピアノ線に与える効果は、ときに予想外の音をもたらした。意外だったのは、炎でピアノ線を炙っても、すぐに音が鳴るわけではないということだ。加熱で赤く輝いた鋼線が冷め、鈍色に戻っていく過程で、こだまのように遅れて持続音がついてくる。デマリニスは《RainDance 》(1998)で水滴を、《Firebirds(2004)で炎を使って音を再生する作品も制作しているが、この第三のパートにも一見すると音のテクノロジーとは無関係な物理現象を通じてありふれたメディアのあり方をずらしていくという点では共通するアプローチが見られた。

このように三つのパートからなったデマリニスのパフォーマンスは、それぞれ扱う題材もそれを提示する手段も異なっていた。とはいえ、その根底にはひとつの共通点が感じられた。それは多くの人がふだん慣れ親しんでいるメディア──身体もそのひとつである──のメカニカルな性質や素材といった物質的な次元へと注意を促そうとするいわば唯物論的な美学である。続くトークでは、そうした作家性をかたちづくった経験や思考について興味深い話を聞くことができた。

トーク内容の紹介

トークの様子(写真左から、牧野豊、ポール・デマリニス、城一裕、松浦知也、COMPUMA)

トークの様子(写真左から、牧野豊、ポール・デマリニス、城一裕、松浦知也、COMPUMA)

イベントタイトル「stain」はデマリニスが考えたものだという。”stain”は一般に物体上に残された「しみ(汚れ)」や「傷」といった意図せざる痕跡を意味するが、彼にとってそれは録音物のメタファーでもある。先に見たマグネティック・レコードは文字どおりインクの「しみ」で音を表象する方法だったし、そもそもエジソンの蓄音機において録音とは文字どおり針で物体につけられた「傷」だった。また、エジソンの録音は人間の意図やコントロールを超えた痕跡としても受け取られた。実際、エジソンが最初に吹き込んだ”Mary had a little lamb”を耳にした人々は、まさか機械から言葉が聞こえるとは思わず、単に機械の音として聴いたという。だが、レコードが持つそうした非人間的な物質性は、慣れととともに忘れられていく。デマリニスによれば、エジソンはレコードの内容が”Mary had a little lamb”であると知った途端に人々はそうとしか認識しなくなったと記述しているという。現在でも起きていることだろうが、なじみの言語や記号を通してメディアの内容を解釈することに慣れてしまうと、テクノロジー自体への新鮮な驚きや違和感は薄れていく。レコードとは”stain”だと言うとき、デマリニスはそうした慣れを異化し、テクノロジーの物質的な存在様式に注意を促そうとしていたのではないか。

では、デマリニスはなぜそのような考えを持つにいたったのか。日本では美術館やギャラリーで展示されるインスタレーション作品の作家として紹介されることが多いが、彼はもともとアメリカ実験音楽の影響を大きく受けている。トークではそうした背景について、貴重な話を聞くことができた。デマリニスは1971年にカリフォルニア州ミルズ・カレッジの修士課程に入学し、ロバート・アシュリーとテリー・ライリーに音楽を学んだ。なお、アシュリーとは制作活動もともにしており、1973年のレコード作品『In Sara, Mencken, Christ & Beethoven: There Were Men and Women』ではデマリニスがシンセサイザーを担当している(デマリニスは音楽と言語の関係を主題にした作品を多く手掛けているが、これもアシュリーからの影響だろう)。さらに、ミルズ・カレッジにはデヴィッド・チュードア、ゴードン・ムンマ、デヴィッド・バーマンなど錚々たる面々も滞在した。彼らは西洋芸術音楽の単なる拡張版ではない電子音楽やコンピュータ音楽を開拓するために、ライヴエレクトロニクスやソフトウェアの開発を手がけたパイオニアである。また、デマリニスはドン・ブックラ──ロバート・モーグと並ぶモジュラーシンセサイザー開発のパイオニア──の部下として2年間を過ごし、電子楽器の製造に携わった経験もあるという。彼らのように楽器というインフラの部分から新しい音楽を想像しようとした音楽家たちと交流した経験が、デマリニスの作家性に影響を与えたようだ。なお、彼はもともと音楽ではなく映像を学ぶつもりだったという。この点について、司会者の牧野豊から「専攻を変えたのはなぜか」という趣旨の質問があったが、デマリニスは映像(フィルム)も音楽(テープ)も物理的にメディアを切り貼りして扱えるという点では当時の自分にとって本質的な違いはなかったと答えた。この発言からも、デマリニスがメディアの表現内容というより、物体としてのメディアに触れる手つきを彼の美学の中心に据えていたことがうかがえる。先述したフータモはデマリニスに「機械いじりをしながら考える人(tinkerer+thinker=thinkerer)」という造語を捧げたが、そうした身振りは同時代の音楽家たちから受け継いだ部分も大きかったようだ。

もっとも、彼の作家性を方向づけたのは実験音楽だけではない。デマリニスは彼の活動の中心にはテクノロジーの倫理をめぐる感受性が根ざしていると強調した。同世代の若者たちがベトナムで命を散らせていった戦時中に学生時代を過ごした彼は、テクノロジーと戦争との結びつきを意識せざるをえなかったという。そして終戦後、デマリニスは軍需産業として成長を遂げた電子機器メーカーが民生品の製造へと設備を転用し、デジタル文化の基盤になっていくのを目の当たりにした。たとえば半導体メーカー最大手のTexas Instrumentsは探索レーダーや爆弾誘導のシステム、軍事用コンピュータの開発などで培われたマイクロチップ開発のノウハウを活かし、電子玩具のメーカーとしても成長を遂げていった。同社から1978年に発売されたSpeak&Spellは音声合成チップを組み込んだ最初期のコンシューマーエレクトロニクスであり、1980年代のテクノポップを象徴する「楽器」にもなった。こうして戦争と音楽がインフラの部分で切れ目なくつながっていく状況を前にして、デマリニスは実験音楽とメディアアートを架橋する作家としての経歴をスタートさせたのである。なお、補足として追記しておくと、カタログ『Buried in Noise(2011)への寄稿文のひとつで、メディア理論家のフレッド・ターナーはアメリカ西海岸のカウンターカルチャー──反戦的な市民運動の一環でDIYを推進した──からの影響もあったのではないかと指摘している(トークではその旨の発言はなかった)。同カタログについては、サウンドアート研究者の金子智太郎による秀逸な書評があるのでぜひ参照されたい。

トークの内容からは1970年代のベトナム戦争下での音楽と産業の状況から学んだことが、今日の作家活動へもつながっていることが浮かび上がった。要約するなら、二点にまとめられる。第一に、楽器やメディア機器のようなインフラの部分から創作をおこなう姿勢は、実験音楽や電子音楽の文脈から学んだものである。第二に、そうしたインフラへの関心は、戦争と音楽がテクノロジーの見えない部分でつながっていく状況への懐疑とつながっていた。デマリニスの作家性として、テクノロジーの進歩史観を拒否することや、テクノロジーの物質面への注意を促すことを先に挙げたが、そうした態度は電子回路やアルゴリズムのなかに見えないかたちで潜在する権力への批判的な意識から生まれたものかもしれない。デマリニスはトークの終盤で感受性(sensibility)を養うことの重要さをしきりに強調していた。それはたとえば軍事兵器の回路と電子玩具の回路とのあいだの見えないつながりを察知するような、テクノロジーの物質面に対する歴史的想像力と言い換えることができるかもしれない。

先に見たデマリニスのパフォーマンスもそうした意識の延長にあったと理解すべきだろう。レコードを”stain”として再発見すること、あるいは合成音声の即物性に気づくことは、単に「音が面白い」ということ以上に、慣れによってかえって鈍ることもあるテクノロジーへの感受性を鍛えなおすリハビリテーションになりうる。この点、本イベントのパフォーマンスはどれも共通する意識に根ざしているように感じられた。それは部分的にであれデマリニスの活動から受けた影響もあるだろう。デマリニスの作品やパフォーマンスそして言葉もまた「しみ」や「傷」のように記憶にこびりついて離れない求心力を持っている。デマリニスが残した”stain”が今後どのように拡がり、形をなしていくかが楽しみだ。

秋吉康晴
非常勤講師(京都精華大学など)。専門はメディア論。音響技術史を通して、感覚や身体の文化的な布置を考察している。共著に細川周平(編)『音と耳から考える——歴史・身体・テクノロジー』(東京:アルテスパブリッシング、2021)。論文にYasuharu Akiyoshi, “Living Instruments: Circuit-Bending Toward A New Materialism of Technoculture in the Anthropocene,” Journal of Global Pop Cultures 1(2022)など。