2023年4月2日に東京オペラシティ コンサートホール タケミツメモリアルで繰り広げられた蓮沼執太フィル公演「ミュージック・トゥデイ」。あの時期、新型コロナウイルス感染症の報道が以前より下火になるものの、落ち着かない日々を過ごす。5月8日からの「5類への移行」が話題に挙がる一方で、行動への自主規制は変わらず続いているように感じていた。

あれから1年、あの会場で得たキラキラとした気持ちは鮮明に心に残っている。コロナ下で強いられた様々な生活様式の変容と、良いものと悪いことの価値の反転に目まぐるしく翻弄される中で、蓄積されてきた「疲れ」を少し溶かし、新しい社会のフェーズへと意向する気配・兆し・訪れを感じさせてくれたからではないかと思う。

2020年から2021年当時、社会に対する悔しい気持ちをTURNジャーナルの編集後記にのせた。

「フランスで2000人超が集まり新年を祝う『闇パーティー』が開かれ、取り締まりの警察に抵抗したというニュースが流れた。けっして肯定できる行動ではないが、日常が暗いからこそ、『明るさ』を求めたが故なのかもしれない。コロナ禍以前には違法でも何でもなかった、その求めた『明るさ』とは何だったのか」

(TURN JOURNAL WINTER 2020-ISSUE06 、アーツカウンシル東京、2021年)

「集うこと」もままならなかった社会情勢を経て、ここでは「共にいること」を、協和音と不協和音が浮遊して構成する音の彩りや、演奏メンバーのそれぞれのリズムの反復とズレを通して十全に肯定してくれて、「自由」という言葉が脳裏をよぎった。

提供:蓮沼執太
撮影:後藤武浩

今回のコンサートの特徴の一つとして、時折、上の客席から響き渡るこどもの声が聞こえてくる。演奏の反復のリズムが周辺を漂い、優しいピッチカートが水の中の気泡のようにも聞こえ、笑い声や走り回る音のようなものも、内と外の境界もよく分からなくなって、セッションの一部を成しているかのよう。響き渡る様々な音の重なりが空間に溶け込んでいった。

親子席や託児サービスの対応は、コンサートの運営者と蓮沼氏との間で特に検討されたこととのことだ。未就学児やコンサートに慣れていない人、静かにしづらい人等、誰もがそれぞれの形で楽しめる場所をつくりたいという思いがあった。ウェブサイトの公演案内には「大きなコンサートホールに行ったことがないお客さま、学生さんにも気軽にお越しいただきたいです」と特記され、「声をだしてもOK」と積極的に発信することで、小さなこどもがいると普段コンサートに行きづらい人たちも、共にいれる場所が目指された。

「雑音」と捉えられるものは、他の人にとっては生きていく上で必要であることもある。様々な音があることは、多様な人が「いる」という状態を指している。今回のコンサートは、ホールを普段とは異なる形で使用する逸脱の仕方ではなく、通常のホール利用の延長線にありながら、ソッと扉を開いて、内と外の空間を結んでくれる。内が好きな人と外が好きな人を、内にいた人と外にいた人を繋ぐ。

提供:蓮沼執太
撮影:後藤武浩

空間が「ひらいている」ということはどういう状態にあるだろうか。様々な人たちが介在していても「ひらかれている」とは限らない。アメリカ合衆国を代表する地理学者のイーフー・トゥアンは人間と空間・場所の関係を様々な角度から論じてきたが、著作「空間の経験」の「広がりと密集」の章にて、「空間は、西洋では自由の象徴としてよく用いられる。空間は開かれたものとして存在しており、未来を暗示し、行動を招いている。否定的な面では、空間と自由は脅威である。『悪い』(bad)という語の根本の意味は「開いている」(open)である。開いていて自由であることは、むきだしで傷を受けやすいこと」と言及しながら、「広がりの感情」について次のように述べている。

「もし人がそこで自由に動くことができる状況であるとするなら、その状況は広々しているということになる。家具調度で一杯の部屋は広々していないのに対して、がらんとした大ホールや町の広場は広々していて、自由に振舞うことが許された子供は、喜んであちこちと走りまわるものである」

(イーフー・トゥアン(1993)『空間の経験』、山本浩訳、筑摩書房、103頁)

空間を広く感じるか、小さく感じるか、その人の歴史的経験や文化によって異なる。そして、行動が制限された場所なのか、それともそれぞれの特性や存在が受け入れられた場所なのかは、主催者側の場の作り方や、音や空間の他者の受容度によって変化する。会場の呼応したこどもたちの声やささやかなノイズ/音は、上記の要素を兼ね合わせた空間であったこと、そして異なる一人ひとりの存在を示唆していたのではないだろうか。

公演では、コンサートのみならず、会場のロビーにて、「バシェの音響彫刻」と触れる蓮沼さんの映像展示も併設された。シャラシャラと音が鳴るパーカッション的なものの軸足のあたりを叩いたり、撫でたり、SUICAで弾いてみたり、色々な形で音と空間と遊ぶ蓮沼さんの姿と出会う。そんな人によって構成されたこのコンサートでも、「遊ぶ」ことが勧められていたのかもしれない。

大波に飲み込まれて個を見失ってしまうのではなく、小さな音/他者の存在を感じられる身体でありたい。

提供:蓮沼執太
撮影:後藤武浩

畑まりあ
[アートマネージャー、東京藝術大学特任助教]
東京藝術大学大学院修了、パリ第一大学パンテオンソルボンヌ修士課程修了。アートプロジェクトや文化政策を研究のほか、情報保障やアクセシビリティの推進を目指す。2016年度からアーツカウンシル東京にて「TURN」事業に従事。2023年度から現職。