[クリティカル・ワード]ポピュラー音楽』は、フィルムアート社の人気シリーズ「クリティカル・ワード」の最新刊として2023年3月に発売された。「文学理論」、「現代建築」、「メディア論」、「ファッション・スタディーズ」といったシリーズの既刊に並ぶ本書では、アカデミックなポピュラー音楽研究の流れをさまざまなキーワードを通じて知ることができる。

『クリティカル・ワード ポピュラー音楽 〈聴く〉を広げる・更新する』

写真:SETENV

そんな本書の出版記念トークイベントが京都・CAVA BOOKSで開催された。登壇者は編著者の永冨真梨、忠聡太、日高良祐の3名に加え、ラッパーのMoment Joonがゲストとして参加。ご存じの方も多いだろうが、Moment Joonはラッパーでありつつ、大阪大学で音楽学の博士後期課程に在籍するポピュラー音楽研究者としての顔を持つ。

トークの内容に入る前に、本書のユニークな点について簡単にまとめておこう。「ポピュラー音楽」は、字面だけ見るとなんとなく親しみやすそうに思える。なにしろ「ポピュラー」な「音楽」である。少なくとも、「文学理論」とか「メディア論」と言われるよりは親近感がある。けれども事情はちょっと入り組んでいる。音楽に関する語りは巷にあふれているし、並行して、ポピュラー音楽研究に属する言説の蓄積も少なくない。両者が交わることも、こと2010年代以降は増えているのではないか。

けれども、肝心なことに、実際に「ポピュラー音楽」を学問するとはどういうことなのか、いまいち実感がわかないという人も少なくないだろう。『[クリティカル・ワード]ポピュラー音楽』には、そうしたギャップにきわめて意識的に取り組んだ一冊という印象を持った。

実際、今回のトークでさまざまなトピックを横断して繰り返し語られたのは、「ポピュラー音楽研究」という領域のとっつきにくさとおもしろさにどのように向き合い、プレゼンするかという試行錯誤の話だったとまとめていいかもしれない。

第1部の基礎編に収録するキーワードの選定に半年以上をついやしたという苦労をとってみても、ポピュラー音楽を学問的に学ぶにあたっての教科書、入門書にあたる書籍として、本書の編纂にあたってのプレッシャーは大きかったことがうかがえる。

そんな第1部では「ジェンダー/セクシュアリティ」や「レイス」、「クラス」といった、カルチュラル・スタディーズの流れをくんだポピュラー音楽研究の重要概念が簡潔にまとめられているが、たとえば「コロニアリズム/ポストコロニアリズム」の導入が韓国の大衆歌謡からK-POPに至る歴史のいちエピソードを巧みにとりいれているように、大きな概念をアクチュアルに感じられるような配慮が見て取れる。

永冨が語っていたように、それは西洋中心ゆえに欧米の事例に偏りがちなポピュラー音楽研究を、いまの日本でより現実と関連づいたものとするための工夫のひとつだ。言い換えれば、「ポピュラー音楽研究」という近そうで遠い領域に、現代日本で触れる、二重の壁を取り除く工夫である。

そしてそれはまた、Moment Joonが自作と関連付けながら語ったように、ある学問領域に詳しくなるというだけではなくて、音楽を聴き、受け止めるにあたっての解像度を押し上げるようなことにもつながっていくはずだ。

アカデミシャンではなくライターとしての筆者から今回のトークで興味深かったのは、「ポピュラー音楽研究」とジャーナリズム・批評との距離感だった。

そもそも分野の成り立ち自体が学際的で方法論が確立されているわけではなく、学問としての立ち位置も不確定。一方で、音楽ジャーナリズムや批評といった先行して蓄積のある分野と隣接しつつも距離があった(あえて距離をとっていた)。

そうした「ポピュラー音楽研究」の何重かの難しさは、その外側からアプローチしようとする自分もある意味感じてきたものだ。そうした状況を「学術的なマルチリンガル性」や「訛り」といった比喩で語る忠や、編集にあたってライターやジャーナリストの起用を考えたという日高の発言には、本書がとろうとした立場の言外の難しさがあらわれていたように思う。

さらには、いまではかつての雑誌を主とした批評やジャーナリズムの制度も問い直され、YouTubeやTikTokといった動画プラットフォームや、ポッドキャストのような音声コンテンツのように、論文……というか文章というかたちで知識を伝えていくことの位置自体も変化している。トークも自ずとそんな現状への問いに踏み込んでいた。そんな状況に本書が(あるいは「ポピュラー音楽研究」が)どんな役割を果たしうるのか、そんなことも考えたくなった。

しかし、もっとも印象的だったのは、本書をきっかけにしながら展開されたMoment Joonの作り手視点からの「ポピュラー」観やヒップホップへの洞察、ラップという表現の方法論といった議論だったかもしれない。また改めてざっくばらんなトークを聴いてみたいと思った。

質疑応答でもクリティカルな質問が登場し、なかでも本書では項目が立っていない音響、サウンドというキーワードに関する問いと応答は興味深かった。

音楽であるからには、それにまつわるコンテクスト(本書で中心的に扱われているような)、あるいは内的な構造(和声理論に代表されるような)に加えて、当然「響き」も重要な側面であるはずだ。実際、日高が応答して語ったように、「響き」にまつわる関心はひろく「サウンド・スタディーズ」という領域を生み出し、日本語でも論集が刊行されるなど注目度が高まっている。当然「ポピュラー音楽研究」と「サウンド・スタディーズ」を結びつける視点も期待したくなるのだが、有り体に言えば、その幅広さゆえに割愛せざるをえなかったということだ。忠からは、そもそもそうした視点から研究に取り組む者がまだ多くないという指摘もあり、本書に限らない「ポピュラー音楽研究」全体の課題なのかもしれない。

改めて、『[クリティカル・ワード]ポピュラー音楽』という労作が今後の音楽にまつわる言説や営みにどんな影響を与えるのか。あるいは、自分がこの労作をどう活用していくのか。振り返る機会でもあった。

写真:cava books

『クリティカル・ワード ポピュラー音楽 〈聴く〉を広げる・更新する』(フィルムアート社)刊行記念イベント ~ポピュラー音楽の「実践と研究のあいだ」~

【登壇者】
永冨真梨、忠聡太、日高良祐
ゲスト:MOMENT JOON

【日時】
2023年5月19日(金)19:30~

【会場】
CAVA BOOKS(出町座)

http://filmart.co.jp/news/cwpm/ より

imdkm
ライター。ティーンエイジャーの頃からダンス・ミュージックに親しみ、自らビートメイクもたしなんできた経験をいかしつつ、ひろくポピュラー・ミュージックについて執筆する。単著に『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint、2019年)。 https://imdkm.com