音楽家の曽我大穂、ガンジー西垣、服飾家のスズキタカユキ、そして照明の渡辺敬之が核を成し繰り広げられてきた「仕立て屋のサーカス」が今回、ドラマーの芳垣安洋、大工の大塚和哉をメンバーに迎え、横浜公演を行った。公演には家族連れ、若者、中年の世代まで様々で多くの人々が訪れた(ちなみに高校生以下は無料)。バックヤードでの店舗も賑わいを見せている。「仕立て屋のサーカス」は主に曽我大穂が演出を担い、自由で多様性のある場を目指して創られ続けてきた場所だ。その点で彼らはすでに、その理想を叶えたとも言えるだろう。

私は「仕立て屋のサーカス」と名乗るようになる前から彼らを見つめてきた。当初はより即興性の高い内容で、線や形、音が織りなすことで現われるアブストラクトな音像や造形を即物的に観客は受け取り、そこに自由にイメージを重ねることができるものだった *。だがやがて、そこに明確な「物語」や「思想」や「型」が加わり、抽象から具象へと変化し、精度の高いエンターテインメントへと変貌してゆくことになる。そこにはもはや意外性は無かったが、行けば必ず美しいものが見れるという信頼感と多幸感があった。それは生半可なことでは成し得ない。とりわけ、スズキタカユキの布と渡辺敬之の照明による空間造形はまるで生命のような進化を遂げ、好奇心をも刺激する見どころとして屹立している。

*:服飾家のスズキタカユキ、ダンサーの鈴木陽平との即興プロジェクト「Lunometers」の企画制作にSETENVは関わっていた。その初回と2回目にゲストとして迎えたのが曽我大穂だった。

当初のイメージが何であれ、このように、ある極地に辿り着いたように見えるものがいったいどこへ進むのか? 私は新たな試みと可能性を見守ることにした。

まず驚いたことがある、それは初めて参加したという芳垣安洋の存在だ。まるで、このメンバーと何年も過ごしてきたかのように見えた。むしろ、彼が「仕立て屋のサーカス」を象徴しているかのように。その巧者ぶりは圧巻で、異国の街角で大道芸人に出くわしたと錯覚するかのようだった。しかし興味深いことに、探りながら反応しているからなのか、彼の生み出す音は少し遅れるのだ。それゆえ、これまでにない独特のグルーヴを生み出していた。カチッとはまらない、何とも言えない心地よさと緊張がそこにはあった。

そして大工の大塚和哉は、これまでにないような違和感を持ち込むことに成功していた。彼は何かを作ろうとしている。しかし観客には予測することができないのだ、彼が形作ろうとするものを。まさにサーカスの名に相応しく、おもちゃ箱をひっくり返したような公演となっていた。「仕立て屋のサーカス」はどこか異国の風景を想起させるものから数歩先へと進み、子どもの時にサーカスを初めて観た時のような「異界」を感じさせるものへと変質する契機を掴みつつあるように見えた。

しかし、惜しい点も存在した。「布を叩く、木を叩く」を銘打ったのにも関わらず、布を操るスズキタカユキの音への関与が希薄なのだ。コンセプトや、これまで築き上げてきたものからは外れるのかもしれないが、布には「叩く」以外にも「擦れる」、「切れる」という有機的で魅力的な音がある。視覚以外でも空間を染めることで観客をより異なる次元へ誘えたかもしれないと思わざるを得なかった。

冒頭でも触れたように「仕立て屋のサーカス」はコアメンバーがいて、ゲストを呼ぶ形で様々な変化を促してきた。しかし今、問われるのはそのメンバーが新たな挑戦に乗り出せるかどうかではないだろうか? 私はそこに大きな可能性を感じている。

日時:2023年4月30日(日)
会場:KAAT 神奈川芸術劇場
出演者:曽我大穂、スズキタカユキ、芳垣安洋、大塚和哉
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