| [最新記事][ログ一覧] | 2000.11 | [←前][次→] |
| 00/11/20 Mon. 02:07 | |||||||||
| 掲示板ができました。 setenv←Aタグテスト 太字←Bタグテスト 色付き←Cタグテスト http://www.setenv.net/これは自動リンクのテスト。 ftp://ftp.nowhere.edu/これも。 info@setenv.netこれも ゲートウェイ・ファイルを公開しておきます→ここ | ||||||||||
| 00/11/20 Mon. 14:30 | |||||||||
| mikoです。ハンドルネームはこっちなんで。 知らないうちにカウンターも800人超えてますね。 とりあえず告知。 ここの雰囲気とは大分違うけど。 学祭に、畳2畳分ぐらい作品を出す予定なので、 近くによる用事などありましたらいらしてください。 一号館二階の製図室です。以上、光岡でした。(笑) | ||||||||||
| 00/11/21 Tue. 00:59 | |||||||||
| 「マッキントッシュとグラスゴー・スタイル」展を見てきました。 ETVの「新日曜美術館」というので特集していてわりと面白そうだったので行きましたが、あんまり期待したほどではなかったです。テレビでは、安藤忠雄が展示の空間設計をしたという話だったんだけど、それは大阪の会場だけの話だったんだろうか。あまり、空間性を感じることができず、通常の家具とグラフィックの展示に終始している印象でした。 というのも、マッキントッシュは、たんにその個々の家具のデザインが様式的にすぐれている(おしゃれだ)ということよりもむしろ、あるインテリアの全ての要素をトータルにデザインすることで空間そのものを作品として提示したという点で評価されるべきだと思うからです。 それは、それまでの十九世紀的な室内――さまざまな時代様式の家具や絨毯や植民地の土産物がところせましと配置され、あちらの机と椅子にはライオンの脚がついていてこちらの傘立てにはヘビが巻きついておりというような室内――から決定的に袂を分かつものだった。 その意味で、マッキントッシュがあっちの喫茶店やこっちの住宅のためにデザインした家具を数点ずつ集めて展示してもあまり意味がないな、と思ったけど、まあなかなか空間性を再現するというところまでは持っていけないのでしょう。 | ||||||||||
| 00/11/23 Thu. 02:50 | |||||||||
| 神奈川県立近代美術館に行ってきました。「美術の『戦後』」展というのをやっています。所蔵品展なのでとくにすごいものはありませんでしたが。 ジョルジュ・マチューという〈アンフォルメル〉系の画家が来日したときに「はんてんにねじりはちまきという姿で1時間弱で描き上げた」とかいう「豊臣秀吉」なるタイトルの、でかい、くだらない絵(1×3mくらいの黒いキャンバスに赤や黄色の絵具が飛び散っている)を所蔵しているらしく、それが展示されてました。 それでそのそばに掲げた解説で、60年代に日本の多くの抽象画家がアンフォルメルに「転向」したが書道や水墨画にも通ずるアンフォルメルへの志向は結局のところ「土着回帰だった」、とか書いてあった。 あとはジャコメッティの粗描などは楽しめました。 | ||||||||||
| 00/11/23 Thu. 04:02 | |||||||||
| 新宿パークタワーホールで、ラインヒルト・ホフマン&スザンネ・リンケのダンス公演「ユーバークロイツ」を観ました。「ドイツ表現主義舞踊の両巨匠」がヘルムート・ラッヘンマンの曲で踊るというので興味をひかれ、学生券がとれたので行ってきました。 舞台にはラバン・ノーテーションが投影され(一部のみ)、ラッヘンマンの音楽にあわせて二つの身体が動くというもので、1時間強の舞台でした。 たしかにドイツ表現主義というだけあってフリッツ・ラングの「メトロポリス」に出てきた労働者みたいなメカニックな動きをしていました。また、リンケのソロ部では床に横たわって体を反らせる動きがヒステリー患者の写真を思い出させました。なにか歴史的なものを観ているという感じでした。 なお関連イベントとしてレクチャーなども企画されているようです。 http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~tif/2000.cpderi.html | ||||||||||
| 00/11/24 Fri. 01:16 | |||||||||
| 「ぴあ」の11/27号を見ていたら、「バッハと憂き世」の日本公演が話題のアラン・プラテルは、「元セラピスト」だと書いてありました。なんとなく納得&怖い。 98年にベルギーで起きた幼児ポルノ連続殺人事件はベルギー人にかなりトラウマを残したらしく、プラテルだけでなく同じベルギー人のリュック・タイマンスも、この事件を題材にした絵を描いたりしている。 「Gramophon Japan」の12月号に、ピエール・ブーレーズのインタビュー記事が出ていました。「将来は現代音楽を演奏する必要はなくなる。みんなが“読む”ようになるからだ。」って、そんなわけないじゃん。 | ||||||||||
| 00/11/25 Sat. 02:51 | |||||||||
| 今日は原宿で「サウンド・デザイン」展を見てきました。 70〜90年代にかけてのイギリスのデザイナーによるレコード/CDのジャケットを展示するというものです。 行く前から名前を知っていたのはデザイナーズ・リパブリックだけだったんだけど、やはり彼らは90年代を代表するグラフィック・デザイナーであろうと思いました。 ついでに、妹島和世が設計した東京で初の建築であるというhhstyle.comというショップをのぞいてきました。 家具の店ですが、売ってるもの(倉俣史朗、フランク・ゲーリー、マーセル・ブロイヤーの椅子etc.)が高価すぎてこわかった。「将来はデザイナーズ・チェアを買う必要はなくなる。それが“ある”ことを知っていれば充分だからだ。」マッキントッシュのハイ・バック・チェアをぽんとひとつだけ持ってきても仕方がないのといっしょです。 | ||||||||||
| 00/11/26 Sun. 00:11 | |||||||||
| 『メモランダム 古橋悌二』が出版されました(リトル・モア刊)。 dumb type の中心人物であった古橋悌二(1960-95)の発言、書簡、インタビューのほか、年譜、彼の作品に寄せられた批評などをまとめたものです。 | ||||||||||
| 00/11/27 Mon. 03:09 | |||||||||
| 駒場であったシンポジウム「二十一世紀の資本主義」を見てきました。 浅田氏はよんどころない事情で欠席とのことでしたが(寝坊とか?)、かわりに西部忠氏が壇上にあがり、すが氏のつっこみに対する応答では優秀なところを見せていました。 例えばLETSも貨幣である以上、マルクスが指摘したような貨幣のフェティシズムに対して無力なのではないか、という問いに対して、次のように答えて説得力がありました。LETSがフェティッシュ性を帯びる可能性があることはひとつの前提でもあり、その上で、人間にとっての貨幣の(言語と同様な)メディア性に注目するのがLETSである。言語が世界の認識を可能にし人間を世界の中に参入させるのと同様に、貨幣も社会の中で人間を個として立ち上がらせるものだ。だから単に貨幣的なものを批判しそれを消去するということはできない。 他にも、LETSと電子マネーを一体のものとして考えている、つまりLETSが電子マネーの技術を必要としているだけでなく電子マネーもLETSという理念を必要としている、という議論なども面白かった。 最後に会場でのNAM参加登録が呼び掛けられました。 このことについて一言しておくと、西部氏が以前から論じているこのLETSや、非資本制的な会社組織を作るという「批評空間」の試みは非常に興味深いものなのですが、しかしそこから組織としてのNAMに「参加」「登録」しようという行動に至るには飛躍が求められるように思います。 原理としてのNAMは、原理でありシステムであり形式であり理念であって、そうである以上、それはそこにコミットするとか参加するとかいうものではない。原理に参加するというのは言葉として意味をなさないし、参加されようとされまいと原理は原理であるでしょう。 もちろんリテラルな参加型の組織としてのNAMという支持体が存在しなければ、原理としてのNAMも論じるに値しなくなってしまうわけだけれども。しかしそこは「デザイナーズ・チェア」の話と一緒で、それを買える人は買えばいいけれども、買えない人もそれが存在することを知っていればひとまずいいと思います。私としては貯金をためるか、安くなるのを待つことになります(どちらかといえば普及して安くなるほうがいい)。 全く面識のないところに手を挙げて飛び込むというのは、私の社交性の問題もありますが、必ずしもNAMの原理からは要請されない形態だと感じます。浅田氏やすが氏のように柄谷氏のそばにいる人がNAMに参加して行くのは自然な話でしょう。 | ||||||||||
| 00/11/28 Tue. 00:27 | |||||||||
| dumb type の「memorandum」(今日が東京公演の初日)のサウンドトラックがリリースされました。レーベルはcci recordings。12トラック63分、クレジットは「produced by ryoji ikeda」となっています。 また、その池田亮司氏の新作「matrix」もイギリスのtouchレーベルからリリース。こちらは、「matrix [for rooms]」と題された60分のCDと「.matrix」と題された31分のCDの二枚組。 どちらも10トラックだが、前者は非常に静かな音の波の反復によって構成されているのに対し、後者はheadphonicsに近いいわば軽快なものになっているようです。 2000年の年頭にICCの「サウンド・アート」展で公開された同名のインスタレーションで使われた音とはまた違う内容です。 | ||||||||||
| 00/11/28 Tue. 01:40 | |||||||||
| 京橋の南天子画廊で「岡崎乾二郎展」を見ました。 2〜3種類の褐色のセラミックを組み合わせて用いた作品が11点、白い石膏の作品が1点、すべて天板を作品の形に掘削した同じ高さの木製の台座にのせられて10畳ほどの部屋に展示されていました。 謎な形、「ロラのうさぎうま ドクトクのこうしのこ」「ケウシュとてをあげ トンソクとあしをかたぶけて」などと意味不明のタイトル、何かの法則に従って図形的に並べられたらしい作品の配置など、妖しいばかりですが、どうせ、深い意味はないんでしょう。 神田の Gallary Surge では、「マヌエル・ロッチャ・イトルビーデ展『rebicycling』」を見ました。これはメキシコ出身のサウンド・アーチストで、日本に数カ月滞在して作成した作品とのことです。 会場には、CDウォークマンが2台、それにつながれた小型のスピーカーが4台中心に置かれ、4チャンネルの音を同時に演奏。その回りには古い自転車が6台置かれている。音は自転車の車輪の回転音を録音して加工した7分程度もので、それなりのノイズ・ミュージックにはなっていました。 しかし全体としては、この作品は、単純なアイディアを単純に実現してしまったものという印象でした。 | ||||||||||
| 00/11/28 Tue. 22:20 | |||||||||
| 寒風吹き荒ぶ中、新国立劇場へ向かう。 今日は、公演第2日目である。 会場が真っ暗になる。文字が浮かび上がる。 ついに始まるのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あまりに過剰な期待を持ちすぎていたかもしれない。 率直にいって、舞台芸術として前作「OR」には劣ると感じずにはいられなかった。 たしかに、映像/音響/照明/パフォーマンスの緊密な交錯によって立ち上がる舞台は、このようなタイプの作品の中では間違いなく現在考えうる最良のもののひとつである。 しかしながら、何か物足りないのだ。 いい意味で裏切られることがほとんどなかったのはやっぱり残念だった。 個人的に「OR」 の衝撃があまりに圧倒的だったからなのか。この数年間の間に僕の感覚が磨耗してしまったからなのか。 とりあえず、これは見た直後の感想である。 これからもう少し考えてみたい。 | ||||||||||
| 00/11/29 Wed. 01:41 | |||||||||
| とりあえず、情報として。 dumb type 「memorandum」@新国立劇場 の12月16日までの公演の前売券はA席/B席とも現時点において完売している模様です。 前売券をお持ちでない方がこの公演を御覧になる方法は現時点だと以下の2つが考えられます。 1.(学生限定=要学生証)Z席1500円 公演当日のみボックスオフィスとチケットぴあ一部 店鋪にて午前10時から販売。1人1枚。電話予約不可。 ボックスオフィス=03-5352-9999(お問い合わせもこちらへ) 当日学生券が購入できるチケットぴあの店鋪 =伊勢丹新宿本店新館2F(水曜不定休) =チケットポート渋谷109店2F (無休) =東武百貨店池袋店プラザ館5F (水曜不定休) =横浜ルミネ1F (無休) =柏高島屋ステーションモールTX館2F (水曜不定休) *Z席は、小劇場2Fのサイドにある比較的見にくい席となっています。それほど多くの席は用意されていないので注意して下さい。初日と2日目の状況によると、だいたい発売後1時間ぐらいで売り切れたようです。 2.当日空席が出ることに賭ける。 開演前に若干の席が用意できる可能性があるようです。 わざわざ足を運ぶ価値はある、と思います。 | ||||||||||
| 00/11/29 Thu. 03:49 | |||||||||
| 前日の「二十一世紀の資本主義」に続いて、紀伊国屋ホールでのシンポジウム「倫理21と可能なるコミュニズム」にも行ってきましたので、これについても一応書いておきます。 前半は柄谷氏が「トランスクリティークへの序論」を30分くらい朗読し、後半は浅田、坂本、山城、柄谷の4氏による討議、最後に質疑応答という流れでした。質疑応答では浅田氏の逆指名で会場のいとうせいこう氏と岡崎乾二郎氏がコメントを述べる場面もありました。 柄谷氏は、“柄谷は理論をやめて運動家になったと言っている人がいるが、自分はずっと理論的にやってきた。ただの運動だと思われては困る。だからあえて「トランスクリティーク」を読んだ”と言っていました。他方で、“現代思想めぐりをしてきたような人は(くじ引き要員として以外)必要ない。NAMには手に職を持った人に入ってもらいたい”とも言っていました。また浅田氏も、“この会場に来ているような人よりは、むしろ来ないような人に入ってほしい”と言っていたのが印象に残りました。 | ||||||||||
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